【維新の嵐 幕末志士伝】白虎咆吼 プレイ日記(7)恋路
池田屋事件・禁門の変が終わり、新撰組にも束の間の平穏が訪れました。近藤勇は沖田総司の様子がおかしいと言い、様子を探ってみることに。
沖田総司が出かけているという中京に行くと、彼の姿を見つけました。こっそり後を付けると、ある女性を見守っていました。
8月20日に近藤勇から江戸で隊士募集を計画していると告げられ、藤堂平助が一足先に江戸へ行き準備をすることに。
9月に入り、沖田総司が労咳の治療にの通っている中京の半井医院へ寄って帰る時には、沖田総司と例の女性、医者の娘の半井悠がいるのを見つけましたが、沖田総司の視線の先には――
今では脱藩浪人の坂本龍馬とその恋人のお龍がいました。堪らず土方歳三が呼び止めます。
巻き添えの出ることは望まない沖田総司は剣を抜かず、そのまま見逃すことに。また要注意人物の坂本龍馬を斬る機会を逃してしまいました。
この期間は今までと比べてかなり暇で、大阪の適塾や京都の枕流塾で勉強をして過ごすことが多かったです。そのおかげで国外見識が100を超えて、目標としていた「雄藩討伐」の論に到達しました。
あとは時流を佐幕・開国・主戦にキープしておけば大丈夫です。今でも結構数値は高いですが、することもそんなにないので近畿の藩を回って後押しなどもしてきました。
もちろん京の巡邏も行っています。清水の明保野亭で浪士潜伏の情報を得て踏み込みました。するとそこにいたのは土佐藩士の麻田時太郎でした。いわゆる明保野亭事件です。
問答無用で斬ることもできますが、刀を収めその場を立ち去りました。すると浪士の集団を発見。こちらが本物だったようです。
史実では会津藩士が麻田時太郎を傷つけましたが、一旦は和解。しかし後に麻田時太郎が士道不覚悟で切腹となり、一部の土佐藩士が反発。会津藩士が自主的に切腹したことで、会津と土佐の衝突が回避されたという事件です。今回、麻田時太郎を斬っていたらどうなったんでしょうか。
この頃は情報収集を積極的に行っていましたが、10月1日に近藤勇が江戸へ発つのに付いていくことに。ある意味凱旋とも言えます。
老中に長州征伐の催促へ行くというので、これに同席。稲葉正邦、水野忠精と説得2連戦を行ってから、先発していた藤堂平助の元へ。彼は本所深川の伊東道場に滞在しており、道場主の伊東甲子太郎たちが新撰組に加わることに。
他に加わったのは、篠原泰之進、服部武雄、佐野七五三之助、鈴木三木三郎、中島登の5人です。服部武雄の剣技は特に魅力的ですが、後で脱退しない中島登以外は、戦闘経験を積める同行者にはしない予定です。
江戸ではすることが全然なくて、老中と語り合ったり情報収集をしたりしていました。
昔を懐かしんで閉鎖された試衛館に行ってみるも、特に何もありませんでした。同地区の牛込診療所で近藤勇が幕医の松本良順に沖田総司の診察を依頼していました。
その後は横浜に寄って金平糖を買い込むなどして、ようやく11月7日に江戸を発ち京都へ帰れることに。伊東甲子太郎は準備に時間がかかりすぎでしょ。
12月の頭に藤堂平助と斎藤一が防具談義をしていました。藤堂平助は鉢金を愛用。斎藤一は鎖帷子を着ているそうです。土方歳三も鎖帷子を装備しています。本当は鉢金も付けたいんですが、装備できるのは1つだけです。そもそも防具はこの2つしかありません。
新年を迎え、再びカルタ大会が行われることに。今回の読み手は近藤勇ではなく武田観柳斎なので準備は万全です。
まったく取れない近藤勇の機嫌が目に見えて悪くなっていきましたが、優勝は24枚を取った山南敬助でした。まさか彼の最後の活躍がカルタ大会になるとは……
後日、山南敬助は伊東甲子太郎と水戸天狗党の顛末を嘆いていました。
隊員が増えてきたため、近藤勇が屯所を西本願寺に移すことを相談してきました。新撰組の勢力拡大を考えれば良策です。土方歳三もこれに賛成。
一方、移転に反対していた山南敬助は、土方歳三の意向が隊に強く反映される現状を良しと思わず、その後、脱走してしまいました。すぐに追っ手を差し向けます。
追手が斎藤一か原田左之助の場合は、山南敬助はその場で死亡。藤堂平助の場合は山南敬助を逃がしてしまいます。永倉新八と沖田総司は山南敬助を連れ帰ってきます。
今回は沖田総司を行かせました。切腹を待つ身となった山南敬助は、角屋の明里に会わせてくれと彼に頼みました。
この人は角屋で追加料金を払うと出てくる人ですね。ちなみに同様の芸妓は他に吉田屋の幾松、長崎・料亭花月の丸山元がいます。
直後、永倉新八と原田左之助が何事もなかったかのように、江戸と京、どちらの女が良いかとしょうもない議論をしており、なんだか山南敬助がかわいそうになってきました。
1865年に入ってからの浪士退治は、イベントで1月8日、谷三十郎が大坂のぜんざい屋に浪士が集まって焼き討ちを計画しているという情報を持ってきました。谷三十郎は不満気でしたが、暇を持て余している土方歳三が、松原忠司と大石鍬次郎を連れて自ら鎮圧へ向かいました。
2月中旬には河原町の瓢亭で浪士の集会の情報。
3月に薩摩出身の新隊士・富山弥兵衛が加わりましたが、彼もまた伊東甲子太郎に付いていって御陵衛士になるのでスルーします。
祇園に行くと、一人の芸妓が浪人に暴力を振るわれている現場に遭遇しました。軽く蹴散らしてその場を去りましたが、土方歳三の黒歴史「豊玉発句集」を落としてしまいました。
4月に入り、その芸妓・小鶴が屯所に句集を届けに来ました。少し時間が空きましたが、女性が一人で来るには、勇気がいる場所なのかもしれないですね。
いやいや、それは褒めてるのか?(笑)
彼女は祇園の立花という店で働いているそうです。店に行くと、月に一回だけ彼女と会うことができます。
4回彼女に会いに行ったらもう8月。すっかり街の噂になっていました。
近藤勇は小鶴の素性を気にしている様子。確かに小鶴も自身の身の上については何も語りません。
この後、小鶴に会いに店に行ってもいませんでしたが、西陣織物を買っておくと会ってプレゼントすることができます。
もちろんこの間も、ちゃんと仕事はしています。4月祇園・山絹屋に御用取り。5月下京・仏光寺で浪士の密会。7月中京・福田屋で脱走隊士が御用取り。
8月10日頃、新撰組内のもう一人の恋する男、松原忠司のイベントが起きます。彼は斬り殺した浪人の妻に謝罪に行ったところ惚れてしまい、その事実を隠して世話を焼いていたら、そのまま懇ろになってしまったという内容です。これを士道不覚悟だと問題視すれば、後で松原忠司は切腹してしまいます。
松原忠司は剣の技術こそ158とやや劣りますが、一時期巡邏に連れ回していた結果、戦闘経験が4000を超えていて死なせるには惜しいです。
イベントで不問にすればいいだけですが、そうすると隊の士気が下がるので、彼を同行者にしてこの時期屯所に戻らずに勉強していたら、そのイベントは回避できました。
9月上旬、すっかり忘れていた松本良順が屯所を訪ねてきました。隊士たち、とりわけ沖田総司を診てもらいます。
ゲーム的には普通に扱き使えそうな感じではありましたが、これからは沖田総司は屯所で待機させておくことにしました。生き延びた松原忠司に頑張って働いてもらいましょう。
同じ頃、祇園の小川屋に浪士潜伏の情報。
月頭のルーティーンにしていた立花への訪問をしたら、土方歳三が小鶴を落籍したいと言い出しましたが、すると、結婚してすぐに大坂で夫を浪士に斬られて失ったと、初めて彼女の口から過去が語られました。
そしてなおも訳がありそうな彼女からは断られました。
結局小鶴とはそのまま別れ、店に行っても会えなくなってしまいました。雑念は振り払い、次の目標である第二次長州征伐に向かって邁進します。
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