【信長の野望 天翔記】直虎の野望 その4(終)
織田家攻略を決めた直虎。しかし当主の織田信長を筆頭に猛者揃いです。もともと素質に恵まれた者が、度重なる戦争を経てパワーアップしています。井伊家にもさらなる戦力の充実が求められます。
ということで、1573年、北陸での本願寺家と南部家の争いで捕虜になって、南部家に登用された鈴木佐大夫に内応を持ち掛け、次のターンで合流。
彼がいると、間違いなく今作の最強武将の一角を占めるであろう鈴木重秀が後で加わります。しかも本人も高い戦闘力に加えて鉄砲Aと間違いなく主力級。重秀引換券なんて言わせない。
これが織田家攻略に追い風となって、まずは尾張を制圧。さらに織田信長が南近江の三好家を攻めた直後を狙って、伊勢志摩を制圧。羽柴秀吉を配下に加えました。
織田家が滅んだのは1574年の春のこと。三好家の大軍が攻めた際に井伊家も参戦し、本丸に籠もる信長の兵を三好軍に削らせて、空いた本丸に割って入るという、ほとんど横取りの形で居城だった観音寺城を落としました。
そして自ターンになったらすぐに野に下っていた織田信長をはじめとする優秀な人材を登用。
1575年、北条氏康が死去し、戦闘がやや低めだった北条氏規が跡を継ぎました。翌年同家の使者が友好を深めるために手土産に東方見聞録(智謀+4)を持ってきた直後に、攻め込む直虎は鬼。
しかし天罰が下ったのか、冬に三好家が井伊家との同盟を破棄。何度か攻められたものの、鉄砲隊の活躍で守り抜きました。
しばらくは守勢に回ったために、特に進展はなし。そんな中、1577年、ついに鈴木重秀が登場。また井伊家の姫が登場しました。直虎の娘ねえ……。
名前は柴姫。二人目が出たら咲姫にして、三人目が出たら……。
1578年、ついに北条家を滅ぼしました。しかし西は三好家、東は南部家と挟まれて、両側からちょっかいをかけ続けられた結果、美濃・尾張あたりまで攻め入られてしまいました。ここからは城を取られたら取り返すの繰り返し。民は堪ったものではありません。そりゃあ一揆も起きるわ。
一揆がおきると城の各種パラメータが低下するので困りものですが、さらに一揆のメッセージが鬱陶しいんですよ、これが。スクリーンショットを取り損ねないようにするために「自動メッセージ送り」の設定を「無効」にしているせいで、ただでさえ多いマウスのクリック回数が増え右手に負担がかかるという、リアルにも害を及ぼす厄介なイベントです。
直虎は鈴木重秀の下、鉄砲の修行に励み、ついに鉄砲の兵科適性がAになりました。西は彼女を中心に守り、関東地方まで版図を広げました。
1582年、各地で小競り合いが続く中、放浪中の井伊直政を発見。もちろんすぐに登用しました。データ上はもちろん一門衆ではないので、先述の柴姫を嫁がせて一門に迎えました。
一向に領土の拡大ができず手詰まり感が出てきました。鉄砲籠城も面倒くさくなってきて、また捕らえた武将の忠誠度上げも面倒くさくなって、処断することもしばしば。
直虎の本来の寿命はとっくに過ぎており時間もなさそうなため、一か八か南部家を攻めて背後の憂いを絶つことにしました。
西は三好家と接している一つの城に織田信長、徳川家康ら精鋭数名を含めた籠城用部隊(鉄砲&壁要員)を配置。他の城は取られてもいいという、半ば捨て鉢で、残りをすべて東北へ向かわせました。
この頃になると南部家は、たびたび攻めてきては返り討ちに遭っており、主力級が次々に捕まっていたために人材不足。さらには軍団長以外は身分も低く、戦闘もまだ上がっていない状態の武将ばかりになっていました。
なので激しい抵抗もなく、あっさりと1583年の冬までに容易に羽後、陸前あたりまで到達。残す相手で厄介なのは当主の南部信直、宿老の下間頼廉と北信愛くらい。いずれも率いる兵は最大の100、戦闘もMAXです。
南部家も最後の力も振り絞り反転攻勢に出ましたが、籠城戦の末にいつもの戦法で退けました。足軽だと塀をよじ登ってこられて城の構造によっては守りにくいんですが、今回は敵がほとんど騎馬隊だったので、守りやすかったです。
この時点での直虎の能力です。やはり智謀は高めになっています。戦闘も意外と伸びた方ではないでしょうか。政治はやはり政得Aの割には伸びませんでした。そもそもあまり内政をやる機会もなく、やるにしても他の武将に任せて、直虎自身は他のことを――調略したり、講義を受けたりしていたほうが有効だったということもあります。
さて、この戦いの結果、南部信直は死亡。北信愛が跡を継ぎました。
しかし直後の1584年春、東日本平定を目前にして、ついにこの時が来てしまいました。
井伊直虎、享年44歳。その遺志を継ぐのはもちろん井伊直政。
――とここでプレイ終了。行方を見守ることにしました。
直後、北家は滅亡。残ったのは井伊家、三好家、そして大友家です。そして1587年に井伊直政が三好家を滅ぼしました。
順調に領土を広げているように見えましたが、この後、四国あたりで取っては取られるの繰り返し。そしてある時、井伊家は四国と本州で分断され、それから堰を切ったように大友軍が東へとなだれ込みました。
あれよあれよと1590年には北陸を制圧、太平洋側も関東まで迫り、大友宗麟が征夷大将軍となります。もう井伊家には反撃する力は残っておらず、早くも同年秋には大友宗麟が全国統一を成し遂げました。
やはり鉄砲鍛冶を押さえられる西側が有利なんでしょうか。大友宗麟や立花道雪をはじめとする優秀な人材もたくさんいますが、島津家の者たちもかなり手ごわい。確かに鉄砲Bですけど、宿老になって鉄砲・大砲携えて本丸にいる島津義弘なんて、見ていてCPUには落とせる気がしませんでした。やはり井伊直政の天敵は島津家だった?
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