【信長の野望 天翔記】直虎の野望 その3
1566年夏。大友家、肝付家、島津家の三つ巴の争いが激しかった九州にて島津義弘が肝付家を出奔との報を見て、同家をチェックしてみたところ、いました、使えそうな忠誠度の低い男が。
その男の名は種子島恵時。戦闘は低いですが貴重な鉄砲Aです。乱戦には向きませんが、本丸に籠もった敵将を撃ったり、籠城戦で敵を狙い撃ちしたりと、なにかと役に立ちます。
直虎がはるばる九州までスカウトに行くと、同年冬にやってきました。これで直虎はそろばん塾に加え、日曜鉄砲教室にも通うことに。そして算盤で「焼討」、鉄砲でなぜか「挑発」を修得。
1567年夏、貯めたお金で鉄砲を大量に購入し、直虎と種子島恵時に配備。決戦の準備が整ったところで、ついに徳川家康との同盟を破棄。しかしすでに友好度はすっかり下がり切っていました。向こうも陰でいろいろとやっていたんですねえ。
東西に分かれた徳川家のうち、まずは第一軍団のいる西の3城をターゲットに決め、1568年に入ってすぐ、長篠城へ進軍。徳川との決戦の火蓋が切られました。
作戦としては、移動力が高いため単騎で突っ込んでくる徳川家康を武田信虎や岡部元信をはじめとする各隊が何とか食い止め、背後から直虎と種子島恵時が鉄砲で狙い撃ち。さらに服部半蔵が機動力を生かし別働隊として各城を攻略。
幸い天候にも恵まれ絶好の射撃日和だったこともあり、何とか徳川家康を退けると、敵同盟国の織田家から参戦の林通勝も直接交戦することなく排除に成功。徳川の3城に加え、織田家の鳴海城も奪う、大勝利となりました。
この戦いの結果、徳川家は東の興国寺城を残すのみに。しかし同盟国の斎藤義龍と、北条氏康が睨みを利かせているため、迂闊に手を出せません。しばらくは膠着状態が続きますが、その間、直虎は自分磨きを怠りません。鉄砲がBになりました。
1569年から徳川攻めを再開。今度の作戦は兵糧攻めです。その間、やることがないので、計略をかけまくっていたら、なんと直虎が北条家の風魔小太郎を討ち取ることに成功。
戦闘37に討ち取られる忍者って……。
徳川軍の兵糧が尽き、士気が下がりだします。そして兵が逃げ出して少なくなったところで城攻め。呆気なく徳川家は滅亡しました。兵糧が尽きたら全軍突撃とかしてきたら厄介でしたが、コンピューターはそういう思考パターンは持っていないようでした。戦後、徳川家康は解放し、すぐに登用。
言っていることがなんか逆です。(笑)
その他にも捕縛した者や野に下った者を登用し、鳥居元忠や本多正信、榊原康政ら、錚々たる面子がわが軍に加わりました。
この後、もぬけの殻だった西の城4つを織田信長に奪われてしまいましたが、その年のうちにすべて奪還。
1571年、目の上のたんこぶ的な存在だった斎藤義龍が死去。鳴海城に戦力を集中させていると、再び織田信長が攻めてきました。しかし今度は服部半蔵と徳川家康が、門にいる敵を足止め、そこを鉄砲で撃つという作戦で撃退しました。
敵からしてみれば混乱させられるわ、狙撃されるわ、おまけに挑発=罵声を浴びせられるわ、と踏んだり蹴ったりな状態です。そしてこの戦いで柴田勝家(戦闘142)、滝川一益(戦闘108、鉄砲B)という心強い家臣を得ました。
しかし冬に東から北条軍が侵攻。手薄だった駿府城から東の城を奪われてしまいました。やはり2方向はきついです。
北条家には調略で対抗。戦闘能力の高い一門の家老・宿老クラスが結構いるのでそれを優先的に狙い撃ち。一人また一人と謎の人物(服部半蔵のことですが)の手に掛かっていく様は、グリーン家もびっくり。
さて東(北条)は手詰まり、西(織田)も手詰まり、南は太平洋なので、残るは北。ということで斎藤龍興を攻めることに。高遠城から木曽福島城を攻めました。
敵の同盟国の上杉氏は戦闘には積極的には参加せず。あっさりと攻め落とせました。その後、織田のさらに西側の近畿一帯を治める三好家から同盟の使者が。返事はもちろんOK。三好家とともに残った斎藤龍興の城を攻め、1572年の秋に、斎藤家は滅亡しました。
すると今度は東北の南部家と三好家と同時にやりあっている本願寺家から同盟の使者が来ました。北条家は弱体化しており、攻め込まれる恐れもなさそうですし、次のターゲットは織田信長に決定しましたが……。
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