【維新の嵐】井伊直弼で安政の大獄(1)
Wikipediaの『維新の嵐』の記事がやけに細かいことまで書いてあって、興味深く読んでいたんですが、気になる記述がありました。それは「井伊直弼では、安政の大獄を実行することができるが、その引き替えに1860年3月3日に桜田門外の変が必ず起こり、江戸にいるとプレイヤー要人といえども死亡する。」という件です。
「安政の大獄」も「桜田門外の変」も起きるのは既定路線なので、ニュアンス的には起こさないこともできるということでしょうが、物は試しで井伊直弼でプレイして見てみようと思います。
安政の大獄を起こすには、井伊直弼の身分が彦根藩主でなければならないようです。彦根城を落とされると浪人になってしまうので、佐幕以外の思想の藩から攻められたら、彦根城を守る必要があります。
そこで当面の方針として、近江の周囲の藩を佐幕思想にして、藩主を心服させて(藩の部隊を含めて)自分で操作できる「ユーザー要人」にしていきます。
井伊直弼は1858年1月28日の開始直後には江戸城の近くにいるので、近畿地方に移動しますが、月末に初めての藩政がありました。
彦根藩の兵力は第1部隊2300人、第2部隊1840人です。第1部隊が全滅すると落城となってしまうので、第2部隊を1人にして、あとは守備用の第1部隊に振り分けました。
あとは内政で各パラメーターがあります。北の松前藩なんかは毎月のように一揆が起こるようになるので、民情値などは大事そうですが、頼みのWikipediaにも書いてなかったので、正直よく分かりません。
お金を最低の1だけかけたら、1ずつ上がったので、毎月これを続けていきます。委任してしまってもいいんですが。
2月5日、幕府通商条約勅許を上奏する。
2月12日、攘夷派公卿88人、宮中に列参し通商条約不許可を奏する。
2月20日、通商条約の勅許下らず。
このように尊王攘夷派が騒いでいますが、足許を盤石なものとするために、井伊直弼はまず隣の大垣藩主の戸田氏正を心服させました。続いて富山藩の松平利由も心服。
すると大垣藩が徳島藩の攻撃を受けました。
なぜわざわざ四国から出張ってくるのかと思いますが、「徳」が敵軍です。「郷」は郷士隊といい、思想の異なる藩が領内に侵入すると結成される味方(操作不可)です。「淀」は今回の戦闘とは無関係の通りすがりの部隊でした。
すぐに富山藩の第2部隊を援軍として派遣しつつ、大垣藩の部隊で迎撃。
藩兵同士の戦いも、例のチャンバラアクションを操作することができます。今回は無事徳島勢を壊滅させました。
井伊直弼はさらに他藩の説得を続け、津、郡山、篠山、小浜、宮津を掌中に収めました。
そして4月23日、大老に就任することに。
他人事のように、道を歩いていたら急になりました。
雄藩の1つ、桑名藩の松平春猷を心服させたのち、同じく雄藩の尾張藩主・徳川義勝の説得へ。しかし説得中に、血圧の上がった相手が怒り出して、しまいには斬りかかられてしまいました。
戦闘の結果、同志数が22人に激減。そこで今日の町へ同志集めに行くことに。すると今度はいきなり因縁を付けられ、金銭を要求されました。
大老になったというのに舐められまくっています。今回は近くに医者もあったので自ら刀を抜いて、難なく退けました。なんか物騒なので、剣の腕も磨いていた方がいいでしょうか……?
同志が100人集まったところで、中国地方へ行くことに。同志数が多いと斬り合いでの身代わりになるだけでなく、説得の際に「威圧」の吹き出しが大きくなるので、多ければ多いほどいい(最大200)ですが、今回は少しでも多くの藩を味方に付けておきたいので、これで出発します。
ちなみに説得時の吹き出しの大きさは以下の値が影響しています。
- 賄賂⇒所持金
- 脅迫⇒武力
- 理論⇒学力
- 威圧⇒同志
- 本音⇒魅力
姫路、竜野、鳥取と説得したところで、6月19日、日米修好通商条約が締結されました。
攘夷派のヘイトを買っていそうなので、操作できる藩の第2部隊を彦根城の周りに集めてみました。
近畿圏で列藩同盟を結んだような感じです。
世の中は、7月4日に徳川家定が病死し、徳川家茂が新将軍となったり、7月15日に薩摩藩主の島津斉彬が病死し、島津忠義が薩摩藩主となったりしています。
各藩主も動員しながら福井藩、鯖江藩を説得していると、小浜藩が福岡藩からの攻撃を受けたので、救援に向かいました。兵士1人きりの彦根藩第2部隊も参戦。
上にいる「福」は味方の福井藩です。ちょっと紛らわしいです。彦根藩第2部隊は当然のごとく全滅しましたが、1人で敵192人を討ち取るって、どんな剣豪だよ。(笑)
第2部隊が全滅すると、すぐに数百人規模の新たな第2部隊が湧いてくるので、わざと1人にして戦闘させることで兵士を増やすテクニックがあるそうです。
結局、福岡藩兵は集中攻撃を食らって壊滅しました。
井伊直弼はレベルがマックスになっていたので、以前キレられた徳川義勝も心服させましたが、8月8日に孝明天皇が通商条約不満の勅を下し、これで10近くの藩が尊王に靡いてしまいました。
西は心服させたユーザー要人に任せて、井伊直弼は水戸藩あたりをターゲットに関東へ。道中、前橋藩の松平直侯を説得しようとしたら、攘夷派だったために戦闘になり、同志数が減少。そこで江戸に寄ることに。
同志を集めようとした矢先、いきなり女に命を狙われました。(まだ)何もしていないのに!(笑)
自分で戦って実戦経験を積みつつ、道場に通って剣の腕を磨いておくことにしました。
丸三日かかり免許皆伝に。いつかは身を助けることになる……でしょうか?
しばらくは江戸に留まっていましたが、1858年9月8日に「過激志士を逮捕・処刑なさいますか?」と物騒なことをさらっと聞いてくるメッセージが表示されました。
ここはもちろんYESを選びます。するとお待ちかねの「安政の大獄」が始まりました。ちなみにNOだと何も起きませんでした。
吉田松陰、梅田雲浜、橋本左内が投獄され、処刑されました。この3名の思想を変えていたら、どうなるんでしょうか?
この次の一大イベントは1860年3月3日の桜田門外の変です。ここにくるまでもけっこう時間がありましたが、次はさらに時間がありますので、その間はいつでもクリアできるような状況を目指していくことにします。
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