【維新の嵐】井伊直弼で安政の大獄(2)[終]

サムネ

無事、安政の大獄も起こしたので、あとは桜田門外の変が起きるのを待つばかりですが、まだずいぶんと時間があります。そこでついでにエンディングの条件を満たしておこうと、雄藩の説得を行っていくことにしました。

因縁の水戸藩の藩論を佐幕にし、藩主の徳川慶篤を心服させた頃、実質的に支配している津藩が芸州藩の攻撃を受けました。

彦根に駐留していた部隊を急ぎ向かわせて撃退したのもつかの間、立て続けに佐賀藩の攻撃を受けて占拠されてしまいましたが、すぐに攻め返して、伊勢は彦根藩の支藩となりました。

制圧

伊勢の動乱も一段落付き、東の雄藩は元から佐幕なので、これからは西日本を中心に活動していくことにします。攻めてきたばかりの雄藩の芸州、佐賀、そして薩摩を説得で佐幕に転向させました。

雄藩

雄藩は残るは長州と土佐の2つ。プレイヤーが佐幕思想の場合、長州藩は説得することが不可能なので、ぼちぼち攻め込む準備をすることにします。

まず各藩の部隊を一旦地元に戻し、月末の藩政で第1部隊の兵士からある程度の数を第2部隊に移動させました。(地元にいる部隊しか編成できません)

その後は総攻撃に備えて九州の部隊は豊前に、他は安芸に移動させるようにしました。

藩兵

大小さまざまですが、動かせる部隊が4ページ目まで続いています。これら第2部隊で長州を一斉に攻撃します。

不穏な動きを察したのか、1月14日に長州の第2部隊が福山藩に攻め込んできました。さらに九州から海を渡った部隊が長州の郷士隊に見つかり交戦。

防長

流石は長州、郷士隊ですら5400人と、そこらの藩の第1部隊より多いです。

そこで、まだ全部隊が揃ってはいませんが、防長の萩の町にある城に籠る長州藩第1部隊への攻撃を命令。

1月20日夜に備後の福山藩は長州の手に落ちましたが、第2部隊が長州に戻らないよういくつかの部隊で攻撃しつつ、構わず長州の城攻めを続行。

敵の第1部隊の兵力は7690、郷士隊は5400で、こちらはちゃんと数えていませんでしたが薩摩の9999人を筆頭に交戦中の兵だけでも3倍くらいでしょうか。しかし福岡、姫路、小浜、鯖江、小倉、竜野と全滅したところで、どうやらコンピューター任せは効率が悪いのではないかと思い、一部手動操作に切り替えました。これだけやられても、まだまだ味方はいっぱいいます。

ついには(委任中の)唐津藩の部隊が長州の第1部隊を撃破して、長州藩は制圧されました。欲を言えば彦根藩兵で制圧したいと思っていましたが。

長州征伐

こちらの主力として先陣を切った薩摩の部隊は648人しか残っていない激戦でしたが、彦根藩兵は無傷で残っていますので、防衛はばっちりです。ところで、ここから大老の座を失って浪人になったら、運命から逃れられるんでしょうか? 元長州の浪人が大量に発生したので、さらに命を狙われやすくなっていそうですが。(笑)

これで残る雄藩は高知の土佐藩のみ。城にいなかった藩主の山内容堂を捜しましたが、ユーザー要人が発見。足留めをさせようと攻撃させてみたら、そのまま討ち取ってしまいました。(笑)

山内容堂

相手の同志は164人もいたんですが、一回目の攻撃でやってしまいました。不意を突いたんでしょうか。いくら警護がいっぱいいても、隙をつかれては意味がないんですね。これは肝に銘じなくてはなりません。

代わりに一字違いの山内容将なる人物が登場しましたが、ふざけて攻撃を続けて、さらに山内容兼山内容秀となりました。

山内容秀

だんだん能力がしょぼくなっている気がします。さすがにここらでお遊びはやめて、説得を行いました。

雄藩統一

4月27日に雄藩をすべて佐幕思想に統一しました。この状態で孝明天皇に会いに行けばエンディングを迎えることができますが、今回はそれが目的ではなく、桜田門外の変までまだ一年近くあります。

なので適当にふらついて各地の藩の説得を続けていましたが、ある時、幕末四大人斬りの一人・岡田以蔵に襲われました。まさか藩主を斬って遊んでいたのがばれたんでしょうか。(笑)

ここにきて剣術修行が役に立ちました。何度か襲撃をしのいだ後、こちらから攻撃を仕掛けて討ち取ることに成功しました。

岡田以蔵

最後は自分の手で止めを刺そうとしましたが、我々にお任せあれ、などと言う同志たちの頼もしさよ。これで普段の護衛も安心……?

その後、河上彦斎からも命を狙われました。こちらも幕末四大人斬りの一人で、さっき知ったんですが、なんでも『るろうに剣心』の主人公・緋村剣心のモデルだとか。光栄ではなくコーエーテクモに顔を描かせたら、だいぶ変わってきそうです。

河上彦斎

幕末の四大人斬りの岡田以蔵河上彦斎すら返り討ちにする武闘派老中。桜田門外の変すら生き延びることができるのではないかと思えてきます。えっ、銃?

この際、暇潰しに残りのニ人、田中新兵衛中村半次郎とも戦おうかと思い、薩摩などへ捜しに行きましたが、見つけることはできませんでした。そんなことをしているうちに3月が近づいてきたので、急ぎ江戸へ向かいました。

そして運命の日――

桜田門外の変

1860年3月3日に江戸にいると桜田門外の変が起きて井伊直弼は死亡します。江戸の町ならばどのマップにいても起きますが、せっかくなので江戸城のあるマップに帰ってきました。マップだと桜田門ってどこでしょうか?

ゲームオーバー

死亡時のゲームオーバー画面は普通に死んだ時と同じです。その後、井伊直憲が登場し彦根藩主となります。こちらも一文字違いですが、ちゃんと実在した人です。

あとは適当なユーザー要人を後継として選んで京都の御所にいる孝明天皇のもとへ行けばゲームクリアですが、せっかくなので井伊直弼生存ルートでクリアすることにしました。

1860年3月3日に江戸の町の中にいなければ桜田門外の変は起きません。しかし代わりに大老を罷免されてしまいます。

罷免

雄藩をまとめ上げたのに、罷免ってひどくないですか? 直後に平藩主の安藤信正が老中に任ぜられました。死亡した時も同じです。

早速、京都の御所へ向かいます。

孝明天皇

佐幕思想の場合は将軍に会う必要はなく、天皇だけでOKです。(尊王は将軍に、公議は二人に会う)

佐幕エンディング

これが佐幕のエンディングですが、グラフィックはこの前見た公議の時と全く同じでした。すると尊王もこれでしょうかね。ここは思想ごとに変えておいてほしかった。

さて、安政の大獄と桜田門外の変を井伊直弼で体験することができました。「安政の大獄」の方はあんなもの(Y/Nの選択)かなとは思っていましたが、「桜田門外の変」は問答無用で死亡ではなく、強制戦闘になって自力で生き延びることもできるようだったら、テンキーを打つ手にも力が入るのにな、と思いました。

ただ『幕末志士伝』とは違って、このゲームでは歴史上のイベントは肌で感じる類のものではなく、どこかで起きているというように距離があるので、仕方がないことかもしれません。それでも操作キャラが井伊直弼である場合に(ちょっとだけ)専用のパターンがしっかり用意されていたのは、なかなか好感が持てました。

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維新の嵐
タイトル別まとめ

維新の嵐

リコエイション・ゲーム『維新の嵐』の記事です。PC-9801版準拠のSteam版をプレイしています。

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