【信長の野望 天翔記】はじめての一騎駆け(1534年・毛利元就)その1

平成の世では、男の子の名前は「翔」の字が人気だったそうですが、「翔」と言えば『信長の野望 天翔記』。ということで(?)一度はやっておきたい「一騎駆け」に挑戦してみました。

「一騎駆け」とは、その名の通り、コマンド実行と戦争をたった一人で行い天下統一を目指すプレイスタイルのことです。

私は今まで一度もやったことがないので、やりやすいとされる毛利元就で挑戦することにしました。毛利元就は各能力の成長が早くて上限が高いうえに、一騎駆けでは極めて有用とされる「暗殺」「流出」の技能を最初から持っています。また臨時徴兵が可能な足軽の兵科適性がAなのもポイント高いです。

毛利元就

シナリオは1534年の「信長の誕生」で、寿命までの時間的余裕もあり、またこちらが重要ですが、鉄砲もまだ伝来していないので、一騎駆けの入門編としてちょうどいいのではないかと思います。

これで慣れて、もっとマゾなプレイもできるようになりたいです。

設定は難易度が超級で、死亡頻度を多いにしたほかは、そのままです。

プレイ開始直後の1534年春。毛利家の吉田郡山城には家臣は6人がいました。なお一番上の吉川経安は浪人です。

家臣

まずは毛利元就の兵力を100にしてから、余った兵を家臣に持たせました。いちいち追放するのが面倒なので、戦争でまとめて敵に特攻させることにします。

このターンでは、毛利家は南の大内家とは同盟関係にあるので、北西に位置する尼子家の小倉山城に攻め込みました。野戦で大内家と尼子家が交戦するのを尻目に元就小倉山城瀬戸山城を制圧。尼子家家老の尼子晴久の暗殺にも成功。

一騎駆けの心得として、戦争では一度ずつできる暗殺と臨時徴兵を、必ず実行することにします。平時では1ターンにつき武将は一度しか行動はできないので、行動力が余りがちになります。なので、なるべく攻め込んでこれらを行うことで、行動力を無駄にすることなく、兵力を補うことと敵の戦力を削ることが同時に行えるようになります。

春の戦では家臣は二人帰ってきてしまいましたが、夏の戦で全てお払い箱にすることができました。このターンでは3回尼子家に攻め込み、4つの城を制圧。尼子家の尼子経久を滅ぼすことに成功しました。

尼子家滅亡

このクラスの武将に逃げられると空き城を奪われる確率が高いので、引導を渡せてよかったです。一騎駆けでは野望の高い浪人も脅威になるので、武将を減らすために、捕まえた武将は全て処断することになります。

激戦の結果、ターン終了時の元就の兵は25まで減少しました。能力を他の武将よりも早く上げるために、被害を顧みずに敵を攻撃しています。臨時徴兵される民はたまったものではないと思いますが。(笑)

1534年秋は徴兵して終わり。冬に隣接する赤松家と三村家を相次いで攻めつつ、元就は南の鶴首城へ移動。兵も100になりました。戦争前より後の方が、兵が増えることもしばしば。(笑)

中国地方

大内家に接近することができ、兵も満タンと、攻め込む準備が完了しました。

1535年春に同盟を破棄。パシリはいないので、こういうことも自分で行かなければなりません。そしてすぐに攻め込みました。一部の家臣の不満が高まっているって、家臣いないし。(笑)

同盟破棄

兵を多く持っている杉重矩城井正房らの武将クラスを暗殺しながら、一気に中国地方の瀬戸内海側を西に進軍していきました。すると大内家と同盟していた大友家当主の大友義鑑を捕縛することに成功。

大友義鑑捕縛

処断したら、菊池義武が後を継ぎました。誰だよって思ったら、弟だそうです。

このターンでは中国地方は長門の2城を残すのみに。兵力は68とまだまだ元気です。

長門進攻

1535年夏には九州に上陸。大内義隆に止めを刺しに行きましたが、離れたところにある対馬の金石城を一歩及ばず馬場家(元は少弐家)に横取りされてしまいました。しかしこれで大内家は滅亡。

秋はその金石城を落としたのみ。

対馬

行き止まりに城を残してしまうと、城を落とした後に前線へ移動しなければならず、一回分の行動が無駄になってしまいます。城を落とす順番もちゃんと考えておかなければいけないですね。

いよいよ九州攻略にかかります。

(C) 1994-2015 コーエーテクモゲームス All rights reserved.

【信長の野望 天翔記】はじめての一騎駆け(1534年・毛利元就)その2
この記事の続き

【信長の野望 天翔記】はじめての一騎駆け(1534年・毛利元就)その2

『信長の野望・天翔記 with パワーアップキット HD Version』のプレイ日記です。シナリオは1534年の「信長の誕生」、大名は毛利元就で一騎駆けに挑戦しました。

コメント

読まれている記事