【信長の野望 天翔記】はじめての一騎駆け(1534年・毛利元就)その2
いよいよ九州に侵入しましたが、1535年冬は九州北部を西へ。
この辺りは中小の大名家が多く、同盟を結んでいるところも多かったので、幾つもの勢力を同時に敵に回すことになりました。
秋月文種、馬場頼周、菊池義武、有馬晴純を相手にしましたが、これらが束になってきても、戦闘が196になった毛利元就には敵いません。しかも今回は戦闘100超えの龍造寺家兼が味方に付きました。……後で攻められることも知らずに。(笑)
これで九州北部は、龍造寺家以外は制圧。
1536年春は手薄な菊池家を攻めて九州を東に横断。一連の戦闘中に毛利元就は「挑発」を覚えました。
これを使えば本丸に籠もった敵もおびき出すことができる、けっこう役に立つ技能です。
夏には阿蘇惟豊、相良義滋を斬ると、そのまま西側の島津家を攻略。出水城まで達しました。
秋には東側に残った島津家を攻めました。敵は兵力こそ多かったものの、兵糧がほとんどなかったので、今回は兵糧攻め。途中やることがなくて暇だったので、大名の島津忠良に暗殺をかけまくっていたら、成功してしまいました。(笑)
1536年中に島津家を滅ぼすと、九州南部の禰寝清年(元は肝付家)を斬って、跡を継いだ本田兼親も種子島城にて討ち滅ぼしました。これでついに最南端に到達。
その後は九州に点々と残った伊東義祐の栂牟礼城、龍造寺家兼の平戸城を相次いで落とし、1537年の春に九州を制圧しました。
このターンでは毛利隆元をはじめ3人が元服しました。早く厄介払いをしないと……
次のターゲットは四国の河野家です。元就の残存兵力は54。攻めながら補充することにします。
1537年の夏。松葉城攻めで四国攻略を開始。特に激しい抵抗もなく河野道直を滅ぼすと、さらに細川領にも攻め入り、四国の半分以上を制圧しました。
毛利元就は「焼討」を使えるようになりました。また元服したばかりの3人には兵を1ずつ持たせていましたが、今回の戦争はイケイケ状態だったので、まだそのまま九州に置いてきました。
秋になって、今度は一転して細川家から攻め込まれました。戦場は岡豊城を中心とする四国の太平洋側。
こちらの兵77に対し、相手は6倍以上。岡豊城に籠城して抵抗しました。
籠城戦で守る場合には、城に侵入した敵を全て倒して城を守り切ると、次に侵入された時にまた暗殺ができるようになるので、敵が一隊だけ侵入→暗殺→守り切る、ということを繰り返すのが理想なんですが、今回は敵が一気に城になだれ込んできたので、暗殺は結局1回しか行えず。
城内では隣接してきた相手を混乱させていましたが、大混乱を引き起こすには至らず。さらには付けた火が自らに延焼する事態も。
敵の戦闘力は高くても90台でしたが、さすがにこの兵力差で囲まれると厳しく、敵もあと1部隊となったところで、奮戦空しく撤退を余儀なくされました。
戦争後の元就の居場所は飛び地になった安芸城で、兵士は2に減少していましたが、自ターンですぐに徴兵コマンドを実施して38まで増やすと、すぐに攻め返しました。
前回の戦いでは細川家が勝利したとはいえ、ボロボロになっていたので、四国を反時計回りに進撃。
四国制圧も目前です。兵は66にまで増え、邪魔者の家臣3人も細川家に押し付けることに成功。再び一人になりました。
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