【信長の野望 天翔記】はじめての一騎駆け(1534年・毛利元就)その3
1537年冬、二度の合戦で、四国を完全に制圧すると、毛利元就は再び本州へ。岡山城へと移りました。これで中国地方の自城の元に久々に帰ってきました。
そこから東進、細川家と赤松家の連合軍と対峙。赤松家は兵力こそ多かったものの、個々の武将は弱く、障害となりそうなのは細川家の宿老・浅井亮政(戦闘162・智謀113)くらいでした。
そこでこのターン中に城を落とすことはせずに、何度か攻め込んで臨時徴兵と暗殺を繰り返して、浅井亮政を排除することに成功。
1538年春、中国・四国・九州を治めた毛利元就は、足利家から九州探題に任命されました。
勢いに乗って、細川・赤松攻めに取り掛かりました。細川家は特に問題なく蹴散らすと、赤松家に至っては、赤松春政→浦上正宗→黒田重隆と1ターンのうちに当主がころころと替わる憂き目にあい、そのまま滅亡。さらに山名家の当主・山名豊定も巻き添えを食らって死亡。
春のターン終了時には、元就は淡路島の洲本城へたどり着きました。これは次ターンの近畿攻めを考えて、そこを目指していました。しかも連戦の後にもかかわらず、終了時の兵力は88の高水準を維持。臨時徴兵すごいです。
また戦闘中に見かけた松永久秀を暗殺することにも成功しました。 敵を暗殺した、後に飲む茶も、また格別…
しかしながら、夏は長宗我部国親に奪われた海部城を取り戻すことに費やされました。長宗我部国親は戦闘141と厄介な相手でしたが、殴り合いの末、捕縛して斬りました。
秋はどうせ移動コマンドで前線に行くのならと、予定を変更して、近畿ではなく日本海側へ移動。大名の山名祐豊や三村家親を斬り、毛利元就の足軽の兵科適性がSになりました。
もうほぼパーフェクトと言ってよい能力になっています。
この戦争では、最初の家臣だった口羽通良との感動の(?)再会も。もちろん斬りましたけど。(笑)
さらに近畿の細川領へと南進。大名の細川晴元を捕まえて、斬ることにも成功。細川家を継いだのは細川持高でした。
冬も引き続き近畿の細川領を攻略。そんな中で毛利隆元とも再会を果たしました。ここは心を鬼にして処断しました。……と書くと、仏の時もあるように思えますが、基本的にいつも鬼です。(笑)
この頃(オリジナル版)の光栄は、こういうセリフとかにこだわりが感じられて良かったなあ。織田信長&森蘭丸、武田信玄&高坂昌信の相撲とかね。(笑)
細川家ももう戦力がないようなものなので、もう少し先に目を向けて、ちょっと離れたところの厄介な武将を、育ち切る前に消しておくことにしました。まずは長生きな忍者・風魔小太郎。
同ターンで近畿の細川家の城を3つ奪うと、隣接する六角家にもちょっかいを出しに行きました。
さすがにここら辺の無傷の勢力が束になってかかってくると、さすがの元就でも苦戦は必至。土岐家の長井規秀を暗殺するなど、城を落とすというよりも、敵の戦力を削っていくことを意識しました。
1539年夏は七里家(元は本願寺家)の鈴木佐太夫を暗殺した後、六角家を攻めて琵琶湖を北上。難敵の六角定頼(戦闘146)に引導を渡すことができました。跡を継いだのは六角義賢。
元就は激闘の末、金ヶ崎城に到達しましたが、兵力は44まで減りました。
秋には西へ。攻め残した丹後の国を細川家から奪い、自領が繋がりました。
冬は足利家の室町御所と六角家の坂本城を占領し、足利家は滅亡。
1540年春、まずは七里家の当主・七里頼周の暗殺に成功。跡を継いだのは下間頼照。戦争では上野城に残った六角家に続いて、そのまま伊勢国の北畠晴具も滅ぼし、さらに尾張から下間家を追い出すなど、一気に勢力を拡大。野戦で土岐家の百地三太夫を暗殺するなどしました。
この大攻勢の後でも兵力は92も残っていました。そして、これで日本の半分を手にしたことになりました。ようやく一騎駆けも折り返し地点です。
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