【信長の野望 天翔記】はじめての一騎駆け(1534年・毛利元就)その4
1540年夏、中国地方で陶隆房が三原城を乗っ取り。癪なので、すぐに暗殺してやりました。(笑)
移動したらもう何もできなくなるので、城は空き城のままにしておきます。
同ターンでは北へ進み、土岐家の城を奪うと、三木家も滅ぼし長尾家と隣接することに。
長尾家は兵力も多く、戦闘も100を超える者がちらほら。秋から冬にかけては、野戦でも敵に近づかなければ何もされないのをいいことに、敵の戦力を削りました。
攻め込んでは暗殺、さらに挑発で一隊だけおびき寄せて攻撃する、時間切れが近づいたら城に退却して敵が釣られて入ってきたところで暗殺、などなど。
1541年春。戦闘が180の織田信秀を暗殺することに成功。跡を継いだのは織田信光。こちらは戦闘121と、ちょっとランクダウンしました。
また同ターンでは乃美宗勝が元服しましたが、すぐに長尾家を攻めた際に突撃させ、長尾家に押し付けました。そして前ターンの下準備のお陰で越中の長尾領を奪うことに成功。返す刀で北陸の下間家と畠山家を攻めました。
畠山家の兵力は十分だったので、今回の戦いでは攻勢に付いた細川家に戦わせました。城は全て細川家に取られましたが、元就の兵を温存しつつ、細川家の兵力も減らすことに成功。
夏にすぐに細川攻めを行い、細川家は城を1つ残すのみに。
また上杉家の家老・長野業正の暗殺に成功しました。大物をどんどん消していっています。
1542年秋、21歳の武田晴信が父・信虎を追放する事件が勃発。
厄介な奴がいたなあ、と思って武田晴信の能力を見てみると、まだ戦闘103、智謀70でした。そこで今のうちに、ということで早速――
これ、絶対に世間では信虎の仕業だと思われてますよね。(笑)跡を継いだのは諸角虎定でした。
このターンの元就は、府中城を攻略して、細川家を滅亡させました。次は中部地方の犬山城から東へ進みます。
1541年の冬。土岐家は当主の土岐頼芸が戦闘22なので、あっさりと撃破。問題はこの次です。小笠原長時(戦闘156)や村上義清(戦闘171)とほぼ育ち切った大名が控えています。
村上義清のいる城が戦場に含まれないように気を遣い、小笠原長時とはガチの殴り合いをした結果、捕縛し斬ることに成功。跡は小笠原信貴が継ぎましたが、こちらは戦闘が44で、もう敵ではありません。冬のターン終了時の元就の兵は45。
1542年の春からは小笠原家に加えて村上家とも兵刃を交えました。当主もそうですが、戦闘180の上泉信綱や、戦闘146の笠原清繁など、村上家はなかなかの猛者ぞろいでした。
まとめて相手をするのはきついので、暗殺で一人ずつ消していきました。
1542年夏に、長尾家に攻められて、無人だった飛騨の松倉城などを奪われました。そこでターゲットを村上家から長尾家に変更。
奪われた城は難なく奪回し、当主の長尾晴景を葬ることにも成功。跡を継いだのは椎名保胤で、城は9つ残っているものの、家臣は一人もいない状態でした。
東北地方は各勢力がごちゃごちゃしていて小競り合いが多く、戦闘が上がりきっている武将も多数で、凡将でも結構厄介です。そこで身動きの取れないであろう椎名家を壁として残しておいて、春日山城から南へ進み、東海を目指すことにしました。
しかしその矢先に明智光秀が観音山城で挙兵。もちろんそのターンで暗殺しました。(笑)
このターンは村上家の城を奪い、「上」の家紋の村上義清の城は残り1つに。
するとやはり領土を接している上杉憲政が同盟を申し込んできました。承諾して新たな“壁”を作り、南下に向けた準備は万全。
1542年冬。厄介だった村上義清と小笠原信貴を滅ぼしました。さらに諸角家と北条家の連合軍とも対峙。諸角家は物資が乏しかったため、兵糧攻めをしつつ、出陣した北条家の武将を暗殺するなどして戦力を削りました。
1543年春に松平清康が同盟を申し込んできたので応じました。
彼は戦闘が173と敵にすると手強いので、今川家攻めに利用して兵を減らすのと、松平家は織田家と同盟を結んでいるので、これで織田攻めの際に松平家が織田家に付いて参戦できないようにするのが狙いです。
用が済んだら、すぐに破棄する腹積もりですけどね。(笑)
今川家には太原雪斎(戦闘154)や息子に追放された武田信虎(戦闘184)らがいましたが、松平家を利用して滅ぼすことに成功。味方として参戦した松平家には今川家の城をいくつか取られてしまいましたが、気にしないことに。
1543年夏に那古野城に移動して織田家攻め。
両家と同盟中の松平家は狙い通りに参戦できず、あえなく織田信光は討たれました。
秋にはいよいよ鉄砲が種子島に伝来。でも今回は、あまり出番はなさそうです。
秋のターンで松平家との同盟を破棄。すぐさま攻め込みました。松平清康は手強かったものの、先の今川家との戦いで兵が49に減っていたので、余力を残して勝つことができました。これにて東海地方も制圧完了。
1543年の冬は北条家の城を奪い復活した武田家・武田信繁や北条家の戦力をいつもの手で削ぎながら、自隊の兵力を100まで回復させました。
1544年。春に仕官を求めてきた今川義元を追い返した直後、飯田城を奪われたので、やはりすぐに暗殺。跡を継いだのは葛山氏元。まだ武将が4人残っていたので、要注意です。
同ターンでは吉川元春が元服したので、武田家に突撃させて捕虜に、すぐに登用されました。
その直後の戦で武田家を滅ぼすと、吉川元春は生き延びて野に下ってゆきました。さらば、わが息子よ……
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