【維新の嵐】プレイ日記 第3回 丁々発止
前回が2019年11月ということで3年近く経ってしまっていました。これからちゃんとエンディングを目指そうと思います。
それで進行状況はというと、坂本龍馬の能力を上げて、海援隊を結成したところで終わっています。始まってすらいない。(笑)
このゲームの目的は、13の「雄藩」の思想を統一する(今回は公議)ことですが、現状はこのようになっています。
尊王5・公議3・佐幕5とまだバラバラですが、地図を見ても藩名がパッと出てこないところもチラホラ。13の雄藩は以下の通りです。
- 仙台
- 会津
- 長岡
- 水戸
- 尾張
- 福井
- 彦根
- 桑名
- 芸州
- 長州
- 土佐
- 佐賀
- 薩摩
いきなりこれらの雄藩に説得に向かうのではなく、しばらくは手あたり次第説得していってレベル(実力)を上げることにしますが、海援隊隊士たちに地元・土佐へ集合をかけました。みんな志士の姿になっています。
前の画像から画面の右下、現在は龍馬像で有名な「桂浜」が表示されています。特定のマップに行くと、このように名所の画像が表示されます。
土佐藩は藩論がすでに公議ですが、土佐にいた藩士たちの思想の公議・開国の値を高めて、藩論を盤石なものにしました。なお藩主の山内容堂は最初から公議思想ですが不在でした。
その後は、全員で四国を巡ることに。宇和島藩、伊予松山藩、高松藩の藩論を公議に染めました。最後は徳島藩へと向かいましたが、その道中で賭場を発見。
丁半博打――よく時代劇であるサイコロ2つをツボに入れて振るやつで大儲けです。所持金は488両になりましたが、ツボ振りのお姉さんのグラフィックがちょっと残念です。(笑)
その後は徳島藩も公議に転向させて四国を統一しました。
阿波の名所は「鳴門の渦潮」ですね。あと四国の名所は「金刀比羅宮」(讃岐の金毘羅さん)があります。
次は全員で九州へ。坂本龍馬のレベルは35になっていたので、いきなり薩摩へ乗り込みました。他の隊士には家老や藩士を任せて、坂本龍馬は藩主の島津忠義の説得を行います。
左下の普通なら「気迫」となるゲージが、島津忠義は「血圧」になっています。血圧が上がるとまずいですよ!
これがぐんぐんと上昇していき、10分経ったところで急に怒り出しました。その後は一方的にまくしたてられて、話し合いは物別れに。
時間を置いた方がよいと表示されたので、2日後にまた説得に行きましたが間隔が短すぎたのか、まだ怒りが鎮まっていないと、いきなり斬り付けられました。総勢400人近くの斬り合いです。もう私闘というレベルではありません。どんだけ頭に血が上っていたんだ。(笑)
戦いの結果、坂本龍馬の同士数は195→119と激減。説得するにはまだレベルが低いのでしょうか。仕方がないので、島津忠義は後回しにして、他の藩へ行くことに。
坂本龍馬は同志数の少ない池内蔵太を連れて長崎へ観光同志集めへ。
これは長崎の「グラバー園」、というか当時はまだグラバーの住居ですか。長崎でも池内蔵太ともども攘夷派に襲われることもありましたが、同志をいくらか増やすことに成功しました。
1859年1月10日「幕府、攘夷派公卿に弾圧を加える」とのメッセージが。
坂本龍馬はその後、他のメンバーと周辺の藩を回り熊本藩、唐津藩を相次いで洗脳。また雄藩の一つ佐賀藩の鍋島閑叟を説得。こちらは薩摩の時とは違い、あっさりと説得できました。
他メンバーで延岡藩、久留米藩の藩論を変える傍ら、坂本龍馬は肥後の「阿蘇山」を観光。
マップ中央にあるのは関所です。身分や思想によっては問答無用で捕まって、拷問されて命を落とすこともあるという、かなり危険な場所ですが、HEXモードからスクエアモードにすることで、手間は掛かりますが安全に通過することができます。海援隊はそのまま通過できるかと思いますが、怖いので止めました。
九州もだいぶ水色に染めました。薩摩藩と、藩主が不在だった福岡藩、幕府直轄の長崎はスルーして、九州も終わりにします。名所は薩摩の「桜島」をちゃんと見ていませんでしたが、いずれにせよ薩摩にはまた行かなければいけないので、その時にでも見ることにします。
その後は中国地方へ。岡山藩、福山藩を公議に変え、また道を歩いていた家老を説得したら遠くの盛岡藩の藩論も変えることに成功。
そして雄藩の一つ、芸州藩にやってきましたが、藩主は不在でした。今回の旅は「厳島神社」の観光に終わりました。
一方他のメンバーは船に乗って離れたところにある対馬藩へ。1人に対して5人がかりで説得するので、66歳と高齢の相手は途中で体力=LIFEが尽きて、一方的に話を聞かされ続けることになっています。
次から次に人が押しかけてきて、一日に10回は説得されるので、ヤバい洗脳セミナーのようです。(笑)
九州・四国方面で勢力を伸ばしましたが、さすがにこの調子で全国をやるのもきついので、そろそろ雄藩の説得にかかることにして、まずは水戸に向かいました。
ここでは藩主の徳川慶篤や家老の徳川斉昭を説得して、水戸藩を掌握。中村藩、仙台藩と説得しながら北を目指して移動して会津藩に到着。
これは「会津城」ですね。会津藩は佐幕のメッカなので、尊王の要人でプレイする際には説得が不可能=武力制圧が必要ですが、今回の公議の場合は、説得でも藩論を転換させることが可能です。
しかし城には守備兵がいるのみで、要人は誰もいませんでした。通りすがりのモブの志士や武士を同志説得して情報収集をすると、会津藩主は防長へ行っているということが分かりました。
そこで坂本龍馬単身でまた中国地方へと急ぐことに。相手が移動することを見越して防長ではなくて東の姫路へ行き、道すがら説得などをしていたら、備後にて移動中の松平容保を発見しました。
筋金入りの佐幕論者でしかも国外思想は攘夷と、説得には時間がかかりそうです。途中で大村益次郎に邪魔に入られましたが、何度か説得して開国派へと転向させることに成功しました。
いよいよ国内思想に手を付けようというまさにその時、モブの武士が説得にやってきて、その相手をさせられたことで体力が尽きて、移動できなくなってしまいました。
説得に来るモブ武士は、能力的には同等の者が来るようで、下手な藩主よりもよっぽど手強く面倒臭いです。こちとら血圧ゲージが上がっちゃって、斬りかかりたいくらいです。(笑)
体力切れで動けずにいる間に松平容保は別マップに移動して、見失ってしまいました。会津にいる仲間に情報収集させると近江→飛騨→上野と移動しているようです。
5月28日、幕府は横浜・箱館・長崎の開港を決定、英国公使オールコックが江戸に、仏国公使ベリクールが横浜に公使館を開設。
また同時期に中岡慎太郎が戦闘で早くも死亡してしまいました。彼は以前、海援隊結成前に陸奥宗光を襲ったりもしていました。
坂本龍馬は松平容保を追って東へ。一方、会津周辺で捜索に加わっていた近藤長次郎は気づけば下野の「日光東照宮」に辿り着いていました。
まだマップのつながりがよく分からず、いつの間にか知らない場所にいることが多々あります。(笑)
坂本龍馬は会津に戻ってきて、ようやく会津城で松平容保を捕まえました。彼と藩の国体思想を公議に変えたら、そのまま信頼度を上げて一気に心服させました。
これから松平容保には、坂本龍馬の右腕として働いてもらいます。坂本龍馬は近くの雄藩・仙台藩へ向かいましたが、藩主は安芸に出かけているという情報を得たので、再び中国地方へ。
坂本龍馬は中国地方を移動中という仙台藩主を捜しつつ、雄藩の一つ、芸州で城にいた藩主・浅野斎粛を説得。藩主自身はすでに公議思想でしたが、それをより強固なものにしたら藩論も公議になりました。
家臣も公議に変えておけば藩は安泰ですが、今回は城にはいなかったので、通りすがりの小浜藩主・酒井忠義を説得。その後は中国地方をうろついて、津山藩も公議にしました。このまま長州にでも偵察に向かおうかと思います。
そして今まで心服させた要人は、情報収集(藩主の居場所)のために雄藩へと移動させることにしました。
以前心服させた何人かの大名は、放置していたら信頼度が下がって心服状態ではなくなっていました。残った大河内信古と中川久昭の2人は、居城を他勢力に占領されて今や浪人になっており、各地の城に面会に入れてもらうことすら叶いません。(笑)
「指示」ではこのような移動の他に、現在地の要人への説得・攻撃などを命じることができます。
普通は会うことができない天皇や将軍すら攻撃対象にして××できるということは、聞いたことがありましたが、PC-9801版では将軍を××するとエンディングになるということを最近知ったので、一度やってみました。
江戸に移動させて将軍・徳川家茂への攻撃を命じると「攻撃したようです」とは表示されるものの、何度かやっても体力や同志数は変化がありませんでした。
どうやらSteam版(コーエー25周年パック?)では、天皇や将軍の××はできなくなっているようです。このような身分の人を××できてしまうというのは、さすがにマズいんでしょうか。こういう無茶苦茶なところも『維新の嵐』の魅力と言えなくもない……と思ったんですが。
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