【三國志Ⅱ】ラスト・ウォリアー(後編)[終]
前回はクリアしましたが、中国統一寸前までちょっと巻き戻して、ここからひたすら時を過ごしていくことにします。この時点での全武将数は、呉の2人を含めて95人でした。
254年に7人、255年に10人が一気に寿命で死亡。この頃が目立って減る数が多かったです。
256年には4人、孫権も死亡しました。これで呉は34歳の孫和のみに。彼を生かしているのは、とある狙いがあるからですが、その理由は後程。
登場人物中、この孫和が一番若かったです。最後に呉の2代皇帝の孫亮が出てくると思って注意していたんですが、見ることはありませんでした。続編と記憶が混ざっていたんでしょうか。「武将FILE」、ずいぶん前に手放しちゃったんですよね。
この256年時点で生き残っていたのは合計41人。ギリギリ国数と同じ数でしたが、翌年に1人死亡したためクリア不可能になりました。武将の数といえば、『信長の野望 戦国群雄伝』は架空武将が数合わせで生成されていましたが、あのシステムは、私はけっこう好きでした。
この後もコンスタントに武将は減っていって、272年には亜当軍14人+呉1人の15人になりました。
もう空白地の方が多いです。我が軍で一番若いのは25国の太守の鍾会と曹爽です。
さらに進めて290年には亜当、夏娃、曹爽、鍾会、孫和の5人に。普通にしていたら見る機会のなさそうな曹爽のご尊顔を。
孫和といい、彼といいモブ顔っぽいです。もう何年もやることがなかったので書物を与えて知力を上げていましたが、初期値は54でした。
293年には曹爽と鍾会が死亡。そして294年にはとうとう亜当に凶兆が出ました。これで普通にしていたら翌年の死亡が確定です。
12月に出陣してそのまま長期戦に突入すると、その戦争に参加している武将は寿命で死亡するのを回避することができます。
そこで同い年の夏娃も連れて孫和を攻めることにしました。これで3人とも自然死を回避できます。持ちつ持たれつです。
戦場では何もしないでひたすら待機。翌1月に再開されたらすぐに退却。
以降、毎年12月から1月にかけて戦争で延命して4世紀に突入。切りのいい300年を一つの区切りと見ていましたが、特に何事もなく時は進み、319年には亜当と夏娃は100歳になりました。
この延命方法を採ると、年はとっても仕官年数は加算されなかったので、ズレてきています。
この後も何事もなく、3人はさらに年を重ねていきました。これはまさかFF=255歳まで行くのか……?
あっさり超えました。(笑)
年齢は単純に1バイトに格納されている訳ではないみたいですね。嗚呼、次の目標は999年か………
幸い、もうキー入力は定型化されていて、不確定要素は災害と、戦争の冒頭で夏娃が勝手に一騎打ちを挑む(そして断られる)ことくらいなので、キーマクロを調整して自動化しています。
そして時間はかかりましたが、1000年になりました。
ちゃんと千の位も表示されていますが、表示が右に伸びた分だけ、巻き物の先っぽ(押え竹と言うらしいです)が隠れてしまっています。
これ以上粘っても面白いことはなさそうなので、12月に攻め込まずにいると、何百年も前に凶兆の出ていた亜当が死亡し、夏娃が後を継ぎます。
これから次々に寿命を迎えるのかと思ったら、予想に反して次に凶兆が現れたのは孫和の1066年でした。
何度かロードして試してみたら、早くて1053年から夏娃の分も出始めていました。謎に人ひとりの寿命くらいの間が空きました。そこで最後に1000歳になるまでは続けてみようかなという気になりました。
もう「封神演義」の仙人の世界です。延命を再開して1219年になりましたが、まだまだ余裕で数が増えていきそうです。自動化しているとはいえ、いったいいつまで続くのか見当もつかないので、当初の目的通り武将がいなくなるのを見届けることにしました。
1221年に孫和が死亡すると同時に夏娃の凶兆が現れ、1222年、とうとう夏娃も天に召されて中国全土が空白地となりました。
この後は特にメッセージが出ることもなく、すぐにKOEIのロゴ画面に切り替わりました。普通にゲームオーバーになった時と同じです。
特に面白味のない結末になりましたが、ここまで年を進めても(ゲームとしてもはや成立していませんが)終わりが来ないとは、思いもしませんでした。
もう年代が違うゲームのそれになっています。日本は卑弥呼どころか鎌倉幕府ですよ。北からモンゴル帝国が虎視眈々とすっかり荒れ果てた大地を狙っているのでしょうか。
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