【維新の嵐 幕末志士伝】蒼龍の飛翔 プレイ日記(5)
江戸の千葉道場の面々に別れを告げた坂本龍馬。「第二章 土佐帰郷」が始まりました。まずは目的地・土佐とは反対ですが水戸に立ち寄り、紹介状をもらっている人物に会いに行くことにします。
城には藩主の徳川慶篤を筆頭に9人の人物がおり、尊王6・佐幕3で皆攘夷という尊王攘夷の藩です。徳川慶篤には会ってもらえなかったので、家老の武田耕雲斎から説得することに。もう鮮度は半分近く落ちて数も少ないですが、開国派に有利な「外国事情」の話題で攻めていきました。
これまでは千葉道場を本拠地にしていましたが、体力が減ってきたら宿に止まらなければならなくなっています。
宿代は微々たるものですが、1年歩き回ることを考えるとなるべく節約したいです。
武田耕雲斎から藩主・徳川慶篤の紹介状をもらえたので、徳川慶篤も説得し城にいた全員を尊王開国派にして、11月25日に水戸を発つことに。天狗党とかやめて、みんなで仲良くしてもらいたいですが、無理でしょうねえ。
PC版では港で船に乗って一気に遠くまで移動できるようですが、プレステ版では船での移動はなくなっていました。そこで熱海と下田の温泉に寄りつつ、東海道を西に移動して三保の松原を通過。
そして尾張に差しかかったところ、一人の侍が襲われている現場に遭遇しました。襲われていたのは、知り合いの水戸藩士・住谷寅之助でした。すぐ助けに入ります。
坂本龍馬の方はまったく問題ありませんが、住谷寅之助の剣術値は83しかありませんでした。刺客も同程度でしたが、坂本龍馬の後ろにくっつくようにして凌ぎました。
どうやら水戸の尊王攘夷派を目の敵にする井伊直弼が放った刺客に襲われていたようです。水戸の攘夷派は坂本龍馬の手により弱体化させたばかりなんですが。(笑)
西国を回るという住谷寅之助と土佐まで一緒に行くことにしました。……その前に、いろいろと寄り道しますけどね。
名古屋で藩主の徳川義勝と面会。次に行った大垣はすでに尊王開国でした。佐幕攘夷の強かった桑名では藩主への紹介状がもらえず。津では藩主を含めて佐幕攘夷から尊王開国に転向させました。
そして年が明け、奈良の大仏を見学してから、歴史の表舞台となる京都へ初めて足を踏み入れました。伏見にある寺田屋に寄ると、住谷寅之助は店主の寺田屋登勢と知り合いだったようです。
そこで住谷寅之助は同じ水戸藩の大胡聿蔵と落ち合いました。彼とはすでに江戸で知り合っていましたが、初対面のような会話になっていました。ともかく、彼は天皇からの密勅を持って各地の攘夷勢力を結集すべく動いているそうです。
これから大胡聿蔵は長州へ、坂本龍馬と住谷寅之助は予定通り土佐へ行くことになりますが、まだ寄り道は続きます。坂本龍馬は攘夷派を結集どころか瓦解させているような気もするんですが、いいんでしょうか。(笑)
その後、北小路甲冑にて防具の鎖帷子を450文で購入しました。鉢金も売っていたんですが、装備できる防具は1つだけです。部位は被っていないと思うんですけどね。
さすがは京都というべきか襲ってくる浪人の数が多く、住谷寅之助を庇いながらの戦いとなって背後を取られることもありましたが、防具のおかげで怪我をせずにすみました。
二日酔いの時に襲い掛かってくるの、やめてもらえませんかね。(笑)
二日酔いになっていたのは芸妓のいる料亭を巡って花札をしたからです。京都で手に入れた特殊カードは以下の7枚。
- 島原・亀屋 ⇒ 伝説の名酒の噂
- 祇園・山緒 ⇒ 祇園の舞妓の話
- 島原・輪違屋 ⇒ カードが替わる
- 島原・桔梗屋 ⇒ 西郷隆盛の秘芸
- 祇園・島村屋 ⇒ 京のいなし
- 祇園・山絹屋 ⇒ 懐中の梅干し
- 島原・木津屋 ⇒ 苦虫を噛む
〈カードが替わる〉は名前が効果そのまんまで、いい名前を思いつかなかったんでしょうか。この中で使えそうなのは、その〈カードが替わる〉と相手の意見を無効にする〈京のいなし〉でしょうか。
各地の藩邸を回った後、御所のある地区をうろついて朝廷の人たちを説得しました。公卿の冷泉為恭を同志にして京都での情報収集を任せることにして京を発ちました。
2月下旬、次に向かったのはすぐ近くの大坂。道頓堀の道頓堀料亭で〈浪速のお大尽遊び〉を入手。
なんとなく中之島に行ったところ、住谷寅之助が知人の商船で四国まで行くことを提案してきたので、船に乗せてもらいました。そして船乗りに操船を教えてもらうことに。
どうやら航海術が上がったような気がします。19になっていましたが、そもそも元の値がいくつか覚えていなかった。(笑)
鳴門の渦潮を見てから高知に住谷寅之助を置いてこようと思っていましたが、どうやら坂本龍馬も土佐から出られなくなってしまうようなので、本州へ戻り岡山~芸州へと行きました。藩主への紹介状はなかなか書いてもらえなかったので、この段階では粘るのはやめました。
宮島や秋吉台といった名勝も見学しつつ、九州に渡りまずは小倉~福岡へ。福岡藩では藩主の黒田長溥と面会し、藩の思想を尊王にしました。次に寄った熊本では城に滞在していた長岡藩家老・河合継之助も一緒に説得したら、長岡藩も尊王になりました。
佐賀と薩摩は入国できなかったので長崎へ。料亭の淡路屋へ行き、花札で〈思い出し笑い〉を獲得。ついでに写真でも撮っておこうかと上野撮影所を訪ねました。
金1000文は高い! まだ旅は続くので、今回はやめておきました。二日酔いですしね。(笑)
懲りずに下関へ移動し、料亭・堺屋へ。
花札をして〈高杉晋作の都々逸〉をもらい、コンプリートしても何もないんですが、これで15枚のスペシャルカードが揃いました。ということでもう花札をする理由もなくなったので、料亭遊びもこれでおしまい。もしもいつか新作が出るとしたら、料亭は『ドリームクラブ』みたいにしてほしいです。(笑)
4月になりましたが、まだ土佐帰郷の猶予までまだ半年以上あります。北の方も回っておけばよかったでしょうか。
新しい情報カードも手に入ってこないので、長州藩の萩に移動して、松下村塾に入門することにしました。
ここでは上げたかった兵学も上げることができます。だんだん面倒臭くなってきたので、塾に籠ってひたすら勉学に励みました。
6月3日に、江戸で同志にして情報収集を任せていた、志士で後に彰義隊を率いる天野八郎から、新しい「開国」の話題の〈横浜の開港〉という情報が送られてきたので、まだ広まらないうちに長州藩の攘夷派を説得してしまうことにしました。
途中で藩主・毛利敬親への紹介状を得て説得したので、長州藩は早々に開国思想になりました。これで外国艦隊への砲撃なんかを思いとどまってくれればいいんですが……
そんな中、同行する住谷寅之助が体調の急変を訴えてきました。
医者へ行ってみると痘瘡(天然痘)と診断されました。感染したら嫌なので、そのまま医者の所に置いてきてしまいたかったんですが、そうはいかず、治療に付き合うことに。
治療は稽古とか学問とは逆で、赤いバーが溜まった状態から左に向かって縮んでいって、すべて青になったら治癒でした。
その後はまた学問と萩城での信頼度上げを並行。一度萩を抜け出して岡山まで行って、藩主と面会などをしました。
9月になり、学力もサブカテゴリ(?)も含めてけっこう上がったと思います。
そこで萩での勉強はやめて、まだ行っていなかった北陸まで足を延ばしてみることにしました。天橋立~東尋坊を観光しつつ、金沢藩を尊王開国にしてきました。それでもまだ10月前。
再び萩に戻ってきた坂本龍馬は吉田稔麿と親交を深め、「飛耳張目録」という本をもらいました。『菅子』の「九守」には(「張」ではなく「長」ですが)飛耳長目という言葉が出てきます。遠くのことをよく聞くことができる耳と、よく見ることのできる目のことです。
さらに三田尻の招賢閣にて真木和泉から「義挙三策」ももらいました。
まだ時間があるので、小倉~宇和島~紀州と回り、紀州で海援隊の一員となる陸奥宗光が大坂にいるという情報を得たので会いに行くことに。
すっかり有名人である坂本龍馬への態度が違いますが、この時点で知名度が7500を超えています。この後で京都にも行きましたが、さすがに天皇には会えなかったものの、御所も顔パスで通してくれるようになっていました。
大坂の町をふらついていたら行き倒れている男がいたので飯を奢ってやることに。
男の名は万藤鶴千代。人相見をしているという彼は、坂本龍馬を見て「希代の異相」などと一人で盛り上がっていました。この人物はゲームのオリジナルキャラのようですが、この先何かに絡んでくるのでしょうか。
最後に京都の高杉晋作に顔見世をしてから大老・井伊直弼のお膝元の彦根へ寄って、藩士に知り合いを一人(西川吉輔)作っておきました。この時点で12月17日。そこでそろそろ土佐の土を踏むことにしましたが、入国してすぐ住谷寅之助とは別れることに。彼は土佐藩の重役に会いに行くそうです。
第二章はここで終わりです。自由度の高い時期でしたが、最後の方は時間を持て余し気味でした。これなら最初に東北地方も回れましたね。
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