【維新の嵐 幕末志士伝】蒼龍の飛翔 プレイ日記(7)

3月3日に江戸で大事件が起きました。大老・井伊直弼が登城中に水戸浪士らに暗殺された桜田門外の変です。その凶報は5日くらいして土佐まで伝わってきました。

桜田門外の変

江戸が震撼する一方、土佐では坂本龍馬も絡まれた、あの山田広衛が郷士の池田寅之進の兄(史実では弟)を無礼討ちにし、池田寅之進が敵討ちとばかりに山田広衛ら上士2人を斬り殺すという事件が発生しました。

当然ながら上士と郷士は一触即発に。結局、池田寅之進が自ら腹を切って事態は収拾しましたが、郷士たちには藩への不満が渦巻いたのでした。

そんな中、4月に武市半平太が桜田門外の変の情報を携えて江戸から帰ってきました。

武市半平太

実は江戸の同志からの情報ですでに知っていましたが、シナリオ的にはこの時点で知ることが想定されていたようで、例の“歴史アニメ”もここで流れました。

この後で武市半平太を説得した際に〈桜田門外の変〉のカードを出したら、「その話は初めて耳にするぞ!」って言ったんですけど、どういうことですか。(笑)

そして一気に時は流れて11月になり、平井加帆から山内容堂の妹が公家に嫁ぐのに付いていくため上京することを告げられました。

平井加帆

彼女は攘夷派であるため語り合って信頼度を上げることができなかったので、信頼度を上げる前に別れの時が来てしまいました。

坂本龍馬自身での説得は不可能でも、同志に命じたら女性相手でも説得ができると知って指示を出したところだったんですが、間に合いませんでした。まあ、今回はお龍なんで……

和宮降嫁問題について武市半平太に教えられるなどして12月に。桂浜に集められた郷士たちは、武市半平太から尊王攘夷の旗を掲げる「土佐勤王党」の結成を宣言されました。

土佐勤王党

思想的には合っていないんですが同調圧力に負けて、攘夷と開国は必ずしも対立するものではないのではないかと個人的に柔軟な解釈をして、土佐勤王党への参加を快諾しました。

もちろん吉田東洋を始めとする藩のお偉い方が黙って見ている訳ではありません。郷士の岩崎弥太郎らを使って党員たちを監視する中、武市半平太からとある計画を打ち明けられました。

暗殺計画

それは彼の意見に聞く耳を持たない吉田東洋を暗殺し、隠居中の山内容堂に尊王攘夷を直接働きかけるというものでした。

山内容堂に期待を抱いている武市半平太ですが、山内容堂は「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」などと噂されていると、土佐での説得に失敗した住谷寅之助から以前聞いたことが思い出されます。前のめりな武市半平太を諫めるも耳を貸す様子もありませんでした。

後日、家で千葉重太郎からの手紙を読んでいると、とうとう吉田東洋暗殺を決意した武市半平太がやってきました。吉田東洋はなかなかの手練れですが、もうここまで来たら最後まで付き合うことにし、刺客に立候補しました。

決意

実行してしまえば成功しようが失敗しようが、当然土佐にいることはできず脱藩することになります。すべての手筈は武市半平太が整えてくれるそうです。それまで剣術指南という体で来年の2月末まで坂本龍馬が土佐から出る許可を藩から得たそうで、萩の久坂玄瑞へ手紙を届けることを頼まれました。

また1年以上の自由時間ができました。まずは前回行かなかった東へと足を延ばすことにします。まず手紙をさっさと届けろという気もしますが。(笑)

情報収集と前回会えなかった藩主を説得しつつ関東へ。江戸の千葉道場に顔を見せようかと思ったら、江戸には入れてもらえませんでした。富士山を見物するなどして、会津若松へ。

松平容保

松平容保らを説得して、あの会津藩も尊王開国に。次は米沢藩に寄るも藩主の上杉斉憲はちょうど感冒にかかって体調を崩していました。そこで仙台へ行ってから松島を見物。これで全国9か所の名所をコンプリートしました。

名所

名所は観光することで色々な能力が上がります。一方で名物特産の方は能力のボーナスはないので、積極的には埋めていません。また観光1の項目には開始直後に見た三社祭などの祭もありますが、開催時期があるので予め予定を立てていなければコンプは難しそうです。

しばらくして米沢に戻ったら上杉斉憲は快復していたので説得して、これでほとんどの藩を尊王にしました。

時流

郷士であるために偉い人に会うことができていないので、地元の土佐がまだ佐幕です。もっともまだ序盤のこの時期では時流がどうであろうと、あまり意味はないのかもしれません。

6月になり、本来の目的である久坂玄瑞への手紙の配達を済ませることにしました。

久坂玄瑞

土佐勤王党は吉田東洋という障害に突き当たっていますが、ここ長州でも尊王攘夷派は佐幕開国論者の長井雅楽と対立しているようです。実はもう長井雅楽は説得して尊王に転向済みなんですけどね。

脱藩を考えているという彼から武市半平太宛の手紙を託されました。これを高知に持って帰れば今回の任務は完了ですが、まだ猶予があるので帰らないことにします。

お金も貯まっていたので、長崎で前回撮らなかった肖像写真を撮ってきました。写真を撮るだけで国外見識が6も上がり、坂本龍馬の論は「大政奉還」になりました。

写真

なんか遺影のように見えてきます。縁起が悪い。(笑)

その後は各地をうろつき知名度も10000近くになって説得も飽きてきたので、萩の松下村塾に籠って勉強することにしました。

8月に一度萩を出て京都へ向かい朝廷の攘夷派を説得して、その帰りにだんじり祭を見物しました。9月10日~19日の間に大坂~和歌山間を通ると見ることができます。

だんじり祭

だんじり祭を見ると身体能力が5あがります。見たら能力が上がる祭りはこれだけなので、他の祭りは無理して見る必要はなさそうです。

その後は松下村塾に戻って勉強を続けて、年が明けてから高知に帰りました。

武市半平太

武市半平太に脱藩を進めましたが、彼はあくまでも土佐に残って藩を掌握しようとしていました。坂本龍馬は吉田東洋暗殺決行の日まですることがないので、河田小龍の元でひたすら勉強することにしました。

3月18日に一度自宅へ戻ると、沢村惣之丞が脱藩して萩にいる吉村寅太郎の使いとして脱藩の意思を確認に来ました。東洋暗殺に加担するしないにかかわらず、一か月後には脱藩する手筈が整いました。

その後はまた河田小龍邸で勉強して決行の日を待ち侘びていました。そして4月1日――池内蔵太が吉田東洋が暗殺され坂本龍馬が疑われていることを知らせに来ました。どうやら然るべき日に本拠地にいないと実行犯にはなれないようです。

そこでロードして3月18日からやり直して自宅で待機していると、3月26日に那須信吾が呼びに来ました。武市半平太の元へ向かおうとすると、脱藩を恐れた兄・坂本権平に刀の無銘業物(攻撃力+12)を隠されてしまったことが発覚しましたが、武市半平太から肥前守忠広(攻撃力+7)を受け取りました。

大一番を前に武器がグレードダウンしてしまいましたが、那須信吾とともにいざ襲撃の現場へ。

暗殺

剣技182を誇る吉田東洋と護衛2人との戦闘になりましたが、坂本龍馬の攻撃により重傷を負った吉田東洋に那須信吾が止めを刺しました。

プレイしていて久々に……というか初めて個人的に盛り上がった気がしました。もう引き返すことはできず、これからは歴史から逸れる道を歩むことになります。

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【維新の嵐 幕末志士伝】蒼龍の飛翔 プレイ日記(8)
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【維新の嵐 幕末志士伝】蒼龍の飛翔 プレイ日記(8)

『維新の嵐 幕末志士伝』から坂本龍馬「蒼龍の飛翔」編、第四章「脱藩と勝海舟」のプレイ日記です。脱藩後、京都で知り合いと再会。そして長崎から上海への渡航を経て、また江戸に戻ってきました。

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