【維新の嵐 幕末志士伝】蒼龍の飛翔 プレイ日記(12)
池田屋事件を切り抜けたものの、厳戒態勢で京からは出られません。宮部鼎蔵や吉田稔麿ら運命から逃れた人物はこれまで同様に面会できましたが、もう役割はなさそうです。せめて同志として連れ歩ければよかったと思いました。
京都に潜伏する日々が続き暇になったので、あろうことか新撰組の説得にまで手を出し始めましたが、7月に入ってからみすぼらしい格好の男に声を掛けられました。
事件以来消息不明になっていた桂小五郎でしたが、変装して三条河原に潜んでいたようです。彼によると長州の過激派が軍を率いて京へ向かっているとのこと。
後日久坂玄瑞が来て、彼が軍を率いている来島又兵衛を止めに行くのに付いていきます。
しかし来島又兵衛は聞く耳を持たず真木和泉までも京へ進軍し「禁門の変」が勃発。敵の防衛線を突破して御所へ侵入するも、敵の援軍として現れたのはにっくき薩摩藩兵。
坂本龍馬も遊撃隊の一員として戦闘に参加しましたが、そこで勝利しても長州藩の敗北は変わらず。来島又兵衛が討ち死にして撤退することに。そんな彼らを新撰組が追ってきました。
兵学の値が高いと逃げるのに有利な地形に誘い込むことができ、交戦する敵の数が減るみたいです。松下村塾でせっせと兵学を学んだ甲斐がありました。
土方歳三、原田左之助、斎藤一らを相手に、無名の志士が討ち取られはしましたが勝利を収めました。しかしともに戦った真木和泉は仲間を逃がすために現場に残り自害。久坂玄瑞も命を落としました。
大切な仲間を失い満身創痍の遊撃隊の面々は三田尻へ落ちてきました。
8月3日まで日付が飛びましたが、幕府が長州征伐を発令するなど長州藩は四面楚歌、しかも四カ国連合艦隊が下関を砲撃と、日本国内どころか世界を敵に回している状態です。
坂本龍馬は遊撃隊の隊長を引き受け、萩周辺で情報収集を行っていましたが、平井加帆が別れを告げに来ました。加帆(加尾)と言えば、ちょうど話題の人が大河ドラマの『龍馬伝』で演じていましたが、もう15年前ですか……
長州藩内での力関係の変化により、政変で萩に逃げてきた五卿の身も危ないので、国元に帰るようにと高杉晋作に言われそうです。ここで引き止めると後ほど加帆と結ばれることになりますが、今回はそのまま別れることに。
9月になり長州では幕府に恭順しようとする勢力が勢いを増してきたので、中岡慎太郎と相談して九州諸藩を回ることになりました。
福岡に入ると月形洗蔵に声を掛けられ、熊本では横井小楠を訪ねました。2人は薩長同盟の構想や新しい政治体制についての話を聞かせてくれました。
全国行脚で彼らとはすでに知り合っていましたが、イベントに出てきたのはこれが初めてです。勝海舟に弟子入りしていたら横井小楠とはイベントで会う機会ができていたようです。
その後は初めて薩摩藩へ行きましたが、藩士たちの思想はだいたい同じなので一通り面会するにとどめました。
山口で何か事件が起きたとのことで戻ることにしましたが、その途中、大宰府で高杉晋作と会いました。長州藩が佐幕の「俗論派」に牛耳られているので逃げてきたそうです。
直後、沢村惣之丞が流感に罹ってしまったので、長崎に行って医者に治療してもらっていましたが、池内蔵太が高杉晋作の挙兵を知らせてきたので、急ぎ下関に向かうことに。
兵力が足りず頼みの奇兵隊も付いてきたのは一部のみ。しかしさしたる抵抗もなく三田尻の軍艦を接収することに成功。下関を速攻で落とすと軍艦で萩を砲撃し、とうとう態度を決めかねていた奇兵隊も挙兵しました。
幕府が追討軍を出したので遊撃隊もこれに応戦。イベント戦闘を経て敵を撃破しました。
このまま一気に萩に攻め込むか一旦休んで態勢を整えるかで意見が対立しましたが、結局は蜂起した農民兵を率いてきた井上馨が合流し、萩へと進軍。高杉率いる「正義派」が長州藩の実権を握り、無謀とも思われたクーデターは成功裡に終わりました。
ついに長州藩は新しいフェーズに達しました。一方で薩摩藩も幕府と距離を置くような動きを見せ始めています。薩摩を尊王に引き込むために中岡慎太郎とともに京に向かった西郷隆盛を追うことになりました。
これで第五章は終わりです。自由時間が長かったですが、一度イベントが起きたら一気に話が進みました。暇な時とそうでない時の落差が大きかったです。
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【維新の嵐 幕末志士伝】蒼龍の飛翔 プレイ日記(13)
『維新の嵐 幕末志士伝』から坂本龍馬「蒼龍の飛翔」編のプレイ日記です。第六章「薩長同盟」では、依然として幕府による征長の恐れがある中、犬猿の仲の薩摩と長州の和解に向けて、西日本を奔走しました。
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