【信長の野望 天翔記】直虎の野望 その2
プレイ開始ですが、やることといえば一にも二にも徴兵。
秋には徳川家康が井伊家の居城・曳馬城の西に位置する今川家の吉田城に攻め込みました。直虎も今川家の援軍要請を蹴って、徳川軍に付くことに。
戦争では東に位置する無人の高天神城へ。移動力が低いために、22ターンかかってやっとのこと本丸にたどり着きました。
その後は再び徴兵と訓練。しかし訓練度は一度に10くらいしか上がりません。このままだと訓練度を上げるだけで年単位の時間がかかってしまいます。早く家臣が欲しいです。
1561年夏。徳川家から本多正信が同盟の使者としてやってきました。もちろんその場で即決。さらに対今川氏真で徳川家と共闘することに。そこで、同年の冬。このままだといずれやられそうなので、先手を打って今川家を攻めることにしました。はっきり言って徳川頼みですが。
ちなみにこの家紋、独立時に(たぶんランダムで)決まったものです。家紋も変更できるのですが、候補の中には井伊家の家紋がどうやらなさそうだったので、そのままにしました。これはどの家の家紋なんでしょうか?
さて、戦いは徳川軍と今川軍が野戦で激突しているのを横目に、直虎は単騎、二俣城へ侵入。兵が100から61へと減ったものの、城を制圧することに成功しました。
一方、徳川軍は、今川軍の前に敗退し、今川軍はそのまま曳馬城へと侵攻、城は落城してしまいました。これで城の数としてはプラマイゼロになったわけですが、城の一つや二つどうでもいいような、直虎の将来を左右するほどの出来事がこの合戦で起きたのでした。それは徳川家の服部半蔵が今川家の捕虜となったことです。逃がすなよ、斬るなよ、と念じていたら、そのまま登用されたので、早速スカウトしに行きました。
結果は成功、しかもすぐに来てくれるとのこと。心強い味方が増えました。服部半蔵を早く出世させて、多くの兵を預けられるようにしなければなりません。
1562年夏。先の戦いで奪われた曳馬城を取り戻すことに。わが軍の兵力98に対し城の守備隊は87と数の上ではやや優勢。その約7割を率いているのが戦闘20の直虎というのが不安でしたが。
戦いは服部半蔵が敵将を暗殺するなど、獅子奮迅の活躍を見せ城を制圧。もちろん最後に本丸に移動するのは、勲功を稼がせるために服部半蔵です。
そして二人目の家臣が。捕縛した岡部元信です。戦闘はまだ56ながら戦得Aで、序盤は貴重な戦力です。
この戦いで徳川軍は戦場の東に位置する興国寺城を落としたので、今川氏真の持つ城は駿府城を残すのみとなりました。当面の敵の今川家が弱体化したことで、わが軍もしばらく態勢を整えることに。直虎の得意の智謀を上げつつ技能を取得するため、服部半蔵によるそろばん塾の開講です。ユー〇ャンで簿記の資格を取るみたいなことなんでしょうか。実際に修得するのは暗殺とかなんですが。(笑)
さらに相撲の稽古などもして、戦闘もちょっとだけ上げつつ、足軽の兵科もBに上昇。まだ鉄砲を大量保有するにはお金が足りませんので、いざという時に役に立つかもしれません。
月日は流れ1564年秋。今川家打倒の旗の下、いよいよ駿府城へ侵攻。敵の同盟相手の北条軍は例のごとく徳川軍に丸投げしつつ、せっせと城攻めに励み、わずか8ターンで落城させました。
残りのターンは徳川VS北条を遠くに眺めつつ、直虎と半蔵は暗殺を試みまくり、半蔵が北条家家老の北条氏邦を打ち取ることに成功。
戦後処理でついに因縁の相手、今川氏真に引導を渡しました。しかも彼が持っていた家宝の宗三左文字(戦闘+16)と伊勢物語(智謀+12)をゲット。
それにしても戦闘17って直虎以下なんだよなあ。しかし彼も生まれてくる時代を間違えたのかもしれません。現代に生まれたら、サッカー選手として大成……はないか。
また、この辺りを放浪していた武田信虎を登用。戦力としても計算できますが、このおっさん、城乗っ取りの常習犯ですからね。乗っ取りの場合、なぜか兵や物資を大量保有していたりして、序盤では厄介ですし。
他にも今川家の遺臣を登用するなどして、家臣の数も増えてきました。
これで東海地方には表向きは平穏な日々がやってきます。が、もちろん腹の底では次のターゲットを定めています。それは今まで散々利用してお世話になってきた徳川家康です。勝負の行方は如何に…!? 直虎の戦いはまだ始まったばかりだ!
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